近代・現代の沖縄県について

琉球王国の滅亡と沖縄県の誕生

日本では、1867年の大政奉還により約260年の長きにわたり続いてきた江戸時代に終止符が打たれました。その後生まれた明治新政府は、近代国家の建設を推し進めるべく版籍奉還や廃藩置県を断行します。現在の沖縄県は、1872年に「琉球王国」から「琉球藩」へと名を変えるとともに、近代日本の一部に組み込まれました。当時の琉球王府は、体制にさほどの影響はないと見ていましたが、明治政府は清国(現在の中国)との冊封・朝貢関係を断絶させようと、強硬に改革を進めようとします。王府は繰り返し「琉球存続」を嘆願しますが、聞き入れられることはありませんでした。1879年に明治政府はついに廃藩置県を断行。首里城は明け渡され、藩王であった尚泰は華族として東京に移住させられます。およそ500年続いた「琉球王国」終焉の瞬間でした。

日本の敗戦から本土復帰へ

その後、日本政府が、日清戦争に日露戦争、第一次世界大戦へと突き進む中、沖縄もしだいに戦争へと巻き込まれていきます。そして、太平洋戦争が勃発すると、沖縄の島々には飛行場の建設や実戦部隊の配備などが進み、前線基地としての色合いがしだいに強まっていきました。戦争末期には沖縄で地上戦が起こり、多くの罪のない民間人が命を落とす結果になります。日本の敗戦後は、戦勝国アメリカによる支配を受けました。しかし、米軍支配下の沖縄では住民の人権が踏みにじられる事案が多発します。現在まで続く基地問題はこのときから始まったものです。その後、沖縄ではしだいに本土復帰を望む機運が高まり、1972年にはついに日本復帰が果たされます。しかし、依然として基地問題が解消されないなど、沖縄県民にとってけっして満足のいく復帰とは言えないものでした。